痛いほどの想い。屈折した気持ち。伝わらないなら、そのままでいい。忘れないでいてくれさえすれば、それで。
どこからかイオン様、とすすり泣く声がした。胸が軋んで痛むと同時に神経を刺激してイライラとさせるその声の主は見ずともわかる。自室へと戻ろうとしていたシンクは少しだけ進路を変えて庭へ出た。奥にある大きな木下に、予想通りの見慣れた後姿がちょこんと座り込んでいる。大方、いつものぬいぐるみを抱いてぐすぐす言っているのだろう。
彼女――アリエッタは普段からイオン様イオン様とうるさいが、こうやって泣きながら彼を想うのは決まって夢を見てしまった時だと、シンクは知っていた。共に遠征へ行った時、夜中に目を覚ました彼女が泣きながらその名前を呼んでいたのを見たことがあるのだ。あまりにも長く泣いているものだから、「うるさいんだけど」と冷たく言い放ち、余計に泣かせてしまったのだが。
かさり、と草を踏みしめて後ろに立つと彼女は桃色の髪を揺らして振り返った。大きな目に涙を溜め、ぬいぐるみを口元まで持ち上げてぎゅっと抱きしめている。キシリ、と音が鳴りそうなほどシンクの胸がまた、痛んだ。溢れそうになる気持ち、しかしそれに気づかないフリをして、あくまで冷淡に、そして辛辣に、「アンタ、また泣いてるわけ?」と声をかけた。
「ほんとに、根暗ッタだね。いつもいつも、どれだけ泣けば気が済むんだよ」
腕組みをして見下ろしてやれば、彼女は怯えたように顎を引いて上目遣いでシンクを見る。小声で「アリエッタ、根暗じゃないもん・・・」と呟いたようだったが、口元にあるぬいるぐみのせいで上手く聞こえない。
「またイオン様の夢でも見たんだ? 懲りないよね。捨てられてっていうのにさ」
「あ・・・・・・アリエッタ、捨てられてなんか・・・・・・っ」
「へぇ。この期に及んでまだそんなこと言えるんだ? 導師守護役降ろされて、アニスにイオン様をとられてるのに」
容赦なく核心を突いてくと彼女の瞳が傷ついたように揺れた。罪悪感に一瞬、息が止まる。彼女を抱きしめたくてひくりと動いた指先をぐっと拳の中に閉じ込めて、ふっと口角を上げて冷たく笑って見せた。
「馬鹿だね、ほんと。見てるとイライラする・・・・・・アンタなんて、大嫌いだ」
彼女の目に溜まっていたものが溢れ出す。頬伝ってぽたりと地面に落ちる。三滴目が落ちる前に彼女は立ち上がり、「シンクのいじわる!」と叫び声にも似た言葉を吐き出して走り去った。すれ違った瞬間、微かに香ったのは甘いような彼女の匂い。空中に溶けて消えるそれを手で掬って、キシキシと痛む胸に押し付けた。
彼女はきっと、礼拝堂かどこかで先ほどよりも多く涙を流すだろう。
シンクは彼女が座っていた場所を見下ろす。こうやって彼女の軌跡にしか縋れない自分が滑稽で、愚かしく思えた。
ごめん、なんて言ってやらない。
もっともっと傷ついて、自分を憎めばいい。
その小さな胸を自分への嫌悪と憎しみで溢れさせればいい。
自分が彼女を想う分だけ、彼女は自分を嫌えばいい。
そうして、決して忘れない傷を心に刻めばいい。
ぎゅっと、爪が食い込むほど強く拳を握る。胸の痛みを楽にするために、ゆっくりと息を吸い込んだ。
この想いが届くことなど、望んではいない。
ただ、覚えていて欲しいだけ。心に残して欲しいだけ。
それが憎しみという形であっても、自分を思ってくれさえすれば。
ゆっくりと、息を吐く。目を閉じて、頭の中をクリアにする。
胸の痛みは引いた。泣きたいほどの彼女への気持ちも押し込めて、封じた。
来たときと同じようにまた、草を踏みしめて歩き出す。
彼女を傷つける度に自らの心も傷ついているとは、気づいていないまま。
end
2006.8.20.ありさか
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