それは確信ではない。が、きっとそうだ、という思いが根拠もなしにアリエッタの心を支配していた。
例えば、綺麗な緑色の髪だとか、声のトーンだとか(彼の方が若干冷たい響きを含んではいたが)、雰囲気だとか。懐かしいあの人のそれにそっくりで、ふとした瞬間に、泣きたくなる。愛しくて、会いたくて、触れたくて。
真実を確かめてみようといつも彼女は思うが、それを実行出来てはいない。もし真実を知ってしまって、それで自分が傷ついたとしたら――いや、違う。もし真実を知ってしまって、そのことによって彼が傷ついてしまったとしたら。
それはとても悲しくて、寂しくて、そして申し訳ないことだと彼女は思った。
どうしてそう思うのか、彼女自身、疑問ではあったが、それは最近彼に対して芽生えたほんのりあたたかいような、くすぐったいような、そんな感情に関係しているのだろうと予想をつける。
しかし、だからこそ余計に、真実を確かめなければならない。このままでは平行線上を歩き続けるだけだ。
一歩でもいい。彼に近づきたい。彼のことが知りたい。
もし、確かめたその真実が彼アリエッタにとって、そして彼にとって残酷なものだったとしても、彼女は受け止められるという自信があった。いや、受け止めなければならないのだ。
「何? 人の顔じっと見て。言いたいことがあるなら、さっさと言いなよ」
シンクがいつもの調子で言ってくる。ぼうっと彼の背中を眺めていたアリエッタは、その声ではっと我にかえった。
二人は今、部屋の端と端、つまり対角線上にいる。昼食を終えて自室に戻るシンクにくっついて部屋まで来てしまったのだが、それからどうしようかなどとはまったく考えていなかった。ただ気持ちだけが先走りして、今、視線に気がついてくるりと振り返った彼に見つめられて、困っている。無意識に、ぬいぐるみを抱く腕に力が入った。
「そもそもさ、何でボクの部屋に居座ってるのさ?」
「・・・アリエッタは・・・・・・知りたいの」
咄嗟にそう口にした。後戻りは出来ない。緊張で手のひらがじわりと汗ばむ。上目遣いでシンクを見たが、彼は何も言わなかった。仕方なく、アリエッタは再び口を開く。
「・・・・・・本当のこと、知りたいの」
その言葉を耳にした瞬間、彼の口角がついと持ち上げられた。皮肉な笑み。その意味を探す前に彼が「もしかして」と言葉を発した。
「それはさ、この仮面の下のことについて言ってるわけ?」
こくり、と頷くと同時に、彼女はきゅっと唇を噛み締めていた。目の前にいる少年は、いつもの少年とは違う雰囲気を身に纏っていた。触れるとビリリとくるような、そんな、雰囲気。アリエッタにはそれが彼の攻撃性なのか、それとも防衛なのかは分からなかったが、ここで退いてはいけない、ということだけははっきりと理解していた。
「じゃあ・・・・・・さ。アンタが自分で確かめてみなよ」
「え・・・・・・?」
「知りたいんだろう? 好きにすればいいさ。ボクは抵抗しない」
さあ、どうぞ。
彼はそう言ったきり何も言わなくなった。動こうともせずただじっと、そのまま。アリエッタの鼓動は大きく鳴り響く。一瞬の躊躇、しかしすぐに打ち消して、一歩踏み出した。ゆっくり、ゆっくり距離を縮めていく。彼に近づく度に心臓がうるさくなっていき、微かに眩暈がした。ああこれは、これは彼に近づくための一つの過程。
彼の前まで来て、一際大きく心臓が鳴った。
やはり彼は何も言わず、微動だにせず、ただアリエッタの判断を待っていた。今の時点ではまだ、彼女には二つの選択肢があった。このまま部屋を出ればきっと、明日の朝にはいつも通りの関係に戻っているだろう。シンクは冷たくて、でも時々、微かだが確かな優しさをくれる。アリエッタはそれに甘え、微笑み、彼を甘やかし返す。
今思うと、なんて都合の良い関係なのだろう、と彼女は思う。真実から目を背けて、現実なんてないフリをして。だから、平行線上のままだったのだ。
ゆっくりと、仮面に手を伸ばす。震える指先が固いそれに触れた時、あまりの冷たさに驚いた。これは彼の心の温度なのだろうか。そう思うと、急に悲しくなって涙が出そうになる。唇を噛んでぐっと堪えると、掴んだ手に力を入れて、そっと仮面を外した。
「・・・・・・っ!」
息を、飲む。
まるで同じだった。雰囲気だけではない、感覚だけではない、パーツ一つ一つが、色が、すべて、同じだった。ただ、あの人と同じ色をしたその瞳の奥にある深い悲しみの光りと、ぞくりとするような冷たい表情だけが、彼をあの人とは違う人間なのだということをはっきりと物語っていた。
――イオン様
だからアリエッタは、その名前を飲み込んだ。
仮面を持ったまま一切の動きを停止してしまった彼女に対し、シンクはすっと目を細めた。
「・・・満足、した?」
穏やかな声色だったが、ぞっとするような冷ややかさを含んだそれ。「あ・・・」と思わず小さく声を上げたアリエッタは、全身の血がさっと引いていくのが分かった。
さっとシンクの手が伸びてきた。反射的に後退したが、彼の素早さには敵わない。造作もなく手首を掴まれ、強く引っ張られたと思った時には、それまでシンクの後手にあった壁に押し付けられていた。持っていたぬいぐるみがパサリと床に落ちる。顔の横で両手を押さえつけられ、すぐ近くに彼の素顔があった。また心臓が、ドキンと鳴った。
「知れて良かったね? ボクが愛しのイオン様と同じだってさぁ。これが、アンタが望んでいた真実なんだろう? どうしたのさ、もっと喜びなよ。代わりが出来て、嬉しいだろう?」
「シンクっ・・・・・・アリエッタは・・・・・・」
「どうせそんなことだろうと思ってたよ。アンタはボクを通してあいつを見てたんだ。だから今更になって知りたいなんて言い出したんだ。アンタはボクなんか見ちゃいない。アンタは」
「シンク!」
大きく名前を呼んだ瞬間、僅かに拘束する彼の手から力が抜けた。その隙にありったけの力を込めて拘束から逃れ、そのままシンクに抱きついた。咄嗟のことに反応が出来なかった彼はバランスを崩し、二人は床に倒れこむ。それでも、アリエッタは彼の体に回す腕を緩めなかった。
「・・・・・・った・・・・・・」
耳元でシンクの小さな声が上がる。アリエッタは「ごめん・・・なさい」と謝ったものの離れようとはしない。
「・・・・・・何なんだよ、アンタ・・・・・・」
「アリエッタは、シンクを見てる、です」
「・・・・・・な」
「代わりだなんて、思ってないです・・・・・・イオン様はイオン様で、シンクはシンクだもん・・・・・」
シンクは何も言わない。アリエッタはそっと彼から離れ、向かい合う。改めて正面から見る彼の顔は、やっぱりあの人にそっくりで、恋しさと懐かしさが少しも芽生えないといえば、嘘になる。だが、今ここにいるのは――今ここにいる、泣きそうに顔を歪めている少年は、彼女にあたたかくてくすぐったいような感情を抱かせる、ただ一人の人間なのだ。
「でも・・・アンタは知りたがってたじゃないか。ボクがあいつと似ていると思ったから、知りたかったんだろう?」
彼はアリエッタから目を逸らしながら言った。その様子がとても寂しげに見え、思わずその頬に手を伸ばす。指先が皮膚に触れると、彼はびくっと震えて再び視線を彼女に向けた。怯えているような、それでいて、縋るような。きっと彼は無意識なのだろうが。
「アリエッタは、シンクのこと、知りたかったの。あの人と似ているから、余計に。あの人と違うってことを、確かめたかったの・・・・・・だからアリエッタ、分かった、です」
「・・・・・・何が?」
「アリエッタが好きなのは、ここにいる、シンク、なの・・・・・・だって」
ドキン。また胸が高鳴る。アリエッタはふわりと微笑んだ。
「アリエッタ、ずっとドキドキ、してたんだもん・・・・・・ずっと、シンクに近づけるって、嬉しかったんだもん」
彼の目が驚きで見開かれる。その様子に彼女はますます笑みを深くして、再びぎゅっと抱きついた。するとまた耳元で「アンタって・・・・・・馬鹿だよね」という声が聞こえ、背中にあたたかな感触が訪れた。
歩き続けた平行線上。一歩踏み出してみれば、恐くはなかった。
ねぇ、これからは二人で同じ道を歩ける?
そんなことを聞いたら、彼は彼女の腕の中で、いつもの生意気な口調で「さぁね」と言った。
end
仮面の下を知ってしまった上にすでに両思いで幸せな二人。
原作無視もいいところですね・・・ごめんなさい(汗)
こうであったらいいなぁという私の妄想でした。
2006.8.6.ありさか
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