「はい、ティア」
その声と共に目の前に差し出されたのは、やたらとファンシーなラッピングが施された箱型のもの。一度、それに目を落として「可愛い・・・」と心の中で呟いてから、ティアは再び目線を上げてその箱を差し出すガイを見た。その顔には、いつもと同様に優しげな微笑が浮かべられている。
「何?」
「何って・・・・お返しだよ、バレンタインの。アニス達と一緒にチョコ、くれただろう?」
ああそうか、とまた箱を眺めながら思う。すっかり忘れていたが、今日はホワイトデーなのだ。「ありがとう」と言って箱を受け取る。中身はおそらくクッキーだろう。ティアの手に収まったお返しを満足げに眺めると、ガイはそれじゃあと片手を挙げ、今度は向こうでジェイドと話をしているアニスの方へと歩いていった。ナタリアにも、きっと同じようにお返しをあげたのだろう。
手の中の箱を眺め、そっと息を吐く。夜、宿屋の自室へ戻るまでに、彼女はジェイドとルークから、それぞれお返しを貰った。しかし、一番会いに来て欲しかった人物が、一番お返しをして欲しかった人物が、予想通りではあったが、姿を現すことはなかった。もしかしたら、と僅かな期待を抱いていた自分が馬鹿みたいだと思わず苦笑を漏らす。
あの、バレンタインの日―― 一つだけ、こっそりと特別に作ったチョコを渡すと、彼は酷く驚いた様子で、けれど何も言わずに受け取ってくれた。
彼とは敵同士ではないにしろ微妙な関係にある。まったくの別行動のためどこにいるのかさえわからない、会えたのも偶然、渡せたのも偶然、そして、想いが通じたのも、きっと。
ベッドに横たわり、ひんやりとしたシーツの感触を肌に感じながら、ティアは燃えるような緋色に思いを馳せた。偶然でもいい、彼の意思で出向いたのでなくていい、一目でも会えるなら、それで。
祈りにも似た想いを抱きながら目を閉じる。眠るつもりはなかったのだが、体は予想以上に疲れていたらしい。すぐに緩やかな眠気が襲ってきて思考を鈍らせ、少しずつ、彼女をとろとろとした眠りに誘っていく。
次に目が覚めたのは、もうすっかり夜も更けた頃だった。街灯の明かりが差し込むおかげでぼんやりと明るい室内を見回すと、壁掛け時計の針がもうすぐ十二時を差すところだった。少しだけ休むつもりが、随分と眠っていたようだ。ベッドから起き上がると、冷たい空気が体にまとわりつき、思わす身震いをした。今夜は、冷える。もしかしたら雪でも降るのではないだろうか、とティアは立ち上がって窓に近寄る。そっとガラスに触れると指先から熱が失われていく。
誰もいない夜の街は別の空間のようで、今なら何が起こっても不思議ではないような気がした。
そのまま外を眺めていると、遠くの方に人影が見えた。誰だろう、酒場帰りの人間だろうか、と漠然と考える。そのうち、人影は近づいてきて、その配色と輪郭がはっきりと判別出来るようになった。
――まさか。
心臓が大きく鳴った。無意識に額を窓ガラスにくっつけて食い入るようにその人物を見つめる。胸の高鳴りを抑えようとゆっくり息を吐き、吸い――そして、我慢できずに部屋を飛び出した。
これは偶然だろうか。奇跡の一種なのだろうか。それとも祈りが通じたのだろうか。この際どうでも良いようなことが頭から離れない。人は、想定範囲外の事態に出くわすと、思考が著しく鈍る傾向にあるようだ。
宿の玄関を飛び出したところで彼と、ちょうど三メートルほど離れた位置で向かい合う形になった。二人の間で白い息が現れては消えていく。
「・・・・・・何か言ったらどうだ」
しばしの沈黙の後、彼が無愛想な声で言った。これが怒っているのではなく、デフォルトなのだとティアはもう、知っている。
「ごめんなさい・・・・・・まさか、本当に貴方がここに来てくれるなんて思わなかったから・・・・・・」
思ったよりも掠れた声が出た。緊張しているのだろうか、それとも、感激しているのだろうか。どちらの感情にも近くて、どちらとも違うのかもしれない。
「びっくりして・・・・・・」
嬉しい。その言葉が出て来ない。素直になれないわけじゃない。ただ、恥ずかしいだけ。怖いだけ。言った後の自分とか、言った後の彼の表情だとかが。
「借りは返す主義だ」
彼が言う。彼の「借り」がバレンタインのチョコで、そのお返しをすることを形容しているのだとしたら、おかしくて仕方がない。ロマンチックの欠片もないその物言いに、ティアは両手を口元にあてて小さく笑った。
そんな彼女の様子を見て彼もまた、僅かだが表情を緩め、ゆっくりと距離を縮めた。二人の間が、ほんの一メートルほどになる。
「・・・・・・アッシュ」
ティアが小さな声で彼を呼ぶ。それに答えるように、彼は手を伸ばして彼女の右手を掴み、手のひらを上に向かせた。何、と彼女が尋ねるよりも早く、ぽとりと落とされたのはシルバーの指輪だった。シンプルなデザインだが、街灯の明かりに照らされて光るそれはとても綺麗で。
「間に合ったな」
まわりに時計はなかったが、先ほど部屋を出るときに確認した時刻によると、今は辛うじてホワイトデーの夜だ。彼の言う通り、ギリギリだが間に合っている。
「もう・・・・・・私があなたに気がつかなかったら、どうするつもりだったの?」
輝く指輪を手にひらに閉じ込めながら、意識的に少し責めるような口調で言う。彼は「さぁな。その時はその時だろう」と返す。無計画すぎる、と心の中でティアは思ったが、口には出さずに小さく微笑んで見せる。
「・・・・・・ありがとう」
再び伸びた彼の手が左手を掴み、そのまま引き寄せられた。温かな手のひらの感触。右手には彼から貰った指輪。彼が極至近距離にいる。なんて贅沢なんだろう、と考えて、こっそりと笑った。
名前を呼ばれる。僅かに顔を上げる。鮮やかなグリーンと視線が合う。エメラルドのようなそれを瞼の裏に焼き付けながら、目を閉じた。
end
匿名の方より頂きました、Thanks1000hit企画第四弾でした。
リクエストは「ホワイトデー」「甘々」というキーワードでしたが、果たしてご期待に添えましたでしょうか。
バレンタインに想いが通じたなら一ヵ月後に指輪は早いだろうというツッコミはスルーして下さると有り難いです(苦笑)
最初はペンダントにしようかと思っていたのですが、上手いデザインと描写の誤魔化し方が浮かびませんでした・・・。
個人的には甘い感じに出来たかなと思っておりますが・・・それでもまだ糖度低めかもしれませんね(汗)
リクエスト、ご拝読、共にありがとうございました。また、執筆が遅くなってしまい申し訳ありませんでした。
2006.10.1.ありさか
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