朝、ボクは建物内に響き渡る泣き声で目が覚めた。部屋のすぐ近くから聞こえてくるその声にはとても聞き覚えがある。しかし今朝のそれはいつものしくしくといった感じの泣き方ではなく、小さな子供が声を上げて泣き叫ぶような凄まじいものだった。一体、何があったのだろうか。何となく嫌な予感がしなくもなかったが、ボクはベッドから降りるとドアの方へと向かう。途中、タンスの角に足の小指をぶつけて呻いた。嫌な予感とはこれだったのかもしれない。
痛みに悪態をつきつつドアを開けて見ると、廊下の真ん中で泣いていたのは予想通りアリエッタで、彼女のまわりにはボクと同じく泣き声によって起こされ、集まってきた同僚達が困り顔で立っていた。面倒なことになりそうな気配があった。しかし、泣きじゃくるアリエッタの瞳がボクを捉え、悲しみに満ちたそれに見つめられるとこのままUターンをして部屋に戻るわけにいかなくなってしまった。つくづく、ボクは彼女に甘い。
「一体、何の騒ぎ?」
素っ気なく訊ねてみると、しゃくり上げているアリエッタの代わりに傍らに立つラルゴが口を開いた。
「アリエッタのぬいぐるみが、なくなったらしい」
「ぬいぐるみ?」
ボクはただ聞き返しただけなのだが、アリエッタの泣き声が何故か大きくなる。なんでだよ!と思いつつずきりと心が痛んでしまうのは惚れた弱みかもしれない。
「どこでなくしたかは覚えてないと言うんだ」
ラルゴによると、今朝起きたらぬいぐるみを持っていないことに気がついたらしい。鈍いな!と流石に、などと思わないこともなかったが、それよりも気になるのはアリエッタと、そのぬいぐるみの行方である。
「まったく覚えがないのか、アリエッタ」
リグレットが聞くが、アリエッタは首を振るだけだ。それにしても、アリエッタが失くしたぬいるぐみというのは、いつも胸に抱いているあの悪趣味なことこの上ないぬいぐるみのことだろうが、あれを失くしたと泣きじゃくる彼女の美的センスと精神を疑いたくなるのは仕方のないことだと思う。出来ればそんな悪趣味なものを探したくはないが、彼女の桃色の瞳が切なげにボクを見つめているのに気がついて、そういうわけにもいかなくなる。気がつくとボクは「わかったよ、探してやるよ」と口走っていた。
こうしてボクはアリエッタのぬいぐるみ捜索へ乗り出したわけだが、どこを探したら良いのかまったく見当が付かなかった。ちなみに、探しているのはボク一人だけで、リグレットは仕事に戻ってしまったし(主席総長の右腕は忙しいらしい)、アリエッタはまだ泣いていたし、ラルゴは傍らで彼女を慰めていた。一緒に探せよというつっこみをする気にもなれない。
ボクの知る限りのアリエッタの行動範囲内を探した後、何となく思い立ってディストの部屋へ行ってみた。やつの部屋にはわけのわからない研究用の機械や論文が、気持ち悪いほどきっちりと並んでいる。ボクが入っていっても机に向かって振り返りもしないディストの背後に近寄りながら「アンタさ、アリエッタの・・・」と言いかけて、絶句した。ディストの肩の向こう、机の上に置かれていたものはアリエッタのぬいぐるみだった。
「アンタか犯人は!」
後ろから襟を掴んで椅子から引き摺り下ろす。「ぎゃあ!」という蛙が潰れるような声とゴンという鈍い音が響いた。視界から目障りなものが消えてすっきりしたボクは、さっさとぬいぐるみを取り返して帰ろうと思い手を伸ばした。布と綿の柔らかい感触。そのまま持ち上げると、ポロっと呆気なくぬいぐるみの首が落ちた。
「なっ・・・・・・壊れてる!」
「あああ! こらシンク! 私の研究材料に触ってはいけませんよ!」
床に倒れこんでいたディストが勢いよく立ち上がったものだから、ボクは反射的に後退する。ぬいぐるみの胴体を持ったまま。
「シンク! それをここに戻しなさい!」
「いや、これアリエッタのだから。っていうかアンタ、ぬいぐるみで何の実験してるワケ?」
「あなたには関係ないでしょう!」
「ないけど、気持ち悪いから言ってるんだけど」
正直な気持ちをストレートに口にすると、ディストは奇声を上げて怒り出した。「いいからそれを返しなさーい!」という間の抜けた声にうんざりしながら、両手を挙げて向かってきたやつからひらりと逃れる。しかしやつはしつこくボクを追いかけてくる。そんなにぬいぐるみが惜しいのか。
さっさとアリエッタに渡したいのに奇声を上げて近づいてくるやつがうざったくて、何故かそばにあったハリセンを引っつかむと、勢いよくディストの頭に振り下ろした。スパーン!という清々しい音が響く。やつは小さく呻いて後ずさりをしたが、まだ退くつもりはないらしい。ボクも体勢を整え、ハリセンを構えて実戦さながらに集中力を高めた。
ディストが向かってくる。「しつこいんだけど、このメガネ」と言いながら左足を軸にひらりと避け、そのまま反動で右足を振り上げて蹴りを入れた。見事腰にクリーンヒット。ディストは「ぐぇっ!」というくぐもった声を上げるとバッタリと床に倒れた。ハリセン、出番なし。
折角構えていたのに勿体無かったから、倒れたやつの頭にまた振り下ろしてみた。
スパーン!というあの胸のスッとするような音と共に、ディストの体が魚みたいに跳ねた。
「何の音・・・・・・?」
「えっ、あ、アリエッタ!」
開けっ放しだったドアの隙間からハリセンの音を聞きつけたアリエッタがストーカーのようにこちらを覗いていた。そんな彼女でも可愛いと思ってしまうボクはもう、末期だと思う。
そんなボクの心の中を知らず、アリエッタは視線をボクの手元へ移した。ボクが持っていたのはディストを殴るために存在するハリセンと、もう一つは・・・・・・。
「アリエッタの・・・・・・ぬいぐるみ!」
やばい、と思った。この状況ではボクが壊したと思われても仕方がない(胴体を持ってるわけだし)。なんとか弁明しようとして「アリエッタ」と呼んだが、ボクに視線を移した彼女の目は怒りに燃えていた。
「シンクが・・・・・・アリエッタのぬいぐるみを壊した・・・・・・!」
「ちがっ・・・」
慌てて口を開くが、怒りに満ちている彼女の耳には届かない。ふいに彼女は俯くとぼそぼそと何かを呟き始めた。
・・・・・・詠唱だ。
「アリエッタ、ちょっと待っ」
「・・・・・っピコピコハンマー!」
え、ちょっとそれ、アンタが使える技じゃないよね?
ボクのつっこみも空しく、気づいたときには頭上からピコピコハンマーが降ってきて「ピコーン」というよりも「ピキョーン」に近い音を立ててボクの脳天を直撃した。・・・・・・アリエッタ、痛いよ、心が。
「シンクのばかっ・・・・・・!」
涙声でそう叫ぶと、アリエッタは走り去って行った。残されたのはボクと、床に這い蹲っている馬鹿と、ハリセンと、ピコピコハンマー。ボクは腹いせに、もぞもぞと動き出した馬鹿に向かってピコピコハンマーを投げつけた。
その後、ぬいぐるみを見事修理して彼女の機嫌を取り戻したのはまた、別の話。
end
波風様より頂きました、Thanks1000hit企画第二弾でした。
リクエストは「シンアリ」「動きのあるギャグ」「ハリセンなどのコミカルな小道具」という
キーワードでしたが・・・・・・申し訳ありません、書けませんでした(土下座)
なるべくリクエストに添えるよう、頑張った結果がこれです。これが私の限界でした・・・(汗)
折角リクエストを送って下さいましたのに本当にごめんなさい。
言い訳がましくなりますが、実はギャグというのは苦手分野です。
というのも、ギャグは書き手のセンスや力量が露わになってしまうので、
いつもはったりで文章を書いている私にとってとても辛いのです(笑)
そういうこともあって、あまり書かないジャンルなのですが、
今回、書く機会を頂けて良かったと思っております。結果はあれですが(ぁ)
リクエストありがとうございました。とても勉強になりました。
いつもに増して稚拙な仕上がりとなってしまいましたが、少しでも楽しんでいただけたらと思います。
リクエスト、ご拝読、共にありがとうございました。
2006.8.30.ありさか
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