何を考えているのだろう、といつも思う。常に浮かべられた微笑は崩れることがなく、その秀でた頭脳によって紡がれる言葉には隙がなく、柔らかな物腰は紳士的。まさに、非の打ち所がない。だがそれは、彼の内面を表しているものではなく、むしろ隠してしまっているものだ。おそらく、故意的に。彼の張るバリアは強力で、しかし目立たない。知らなければ触れもしない。触れられもしない。
では、知ってしまったとしたら、どうなるのだろうか。
きっと、触れると手のひらを焼き、痛ませ、相手に深い恐怖感を抱かせるのではなかろうか。きっと、二度と触れることがないように。きっと。
だから、裏を返せば、彼は待っているのだ。いくら手を焼かれても、痛みを与えられても、バリアを突き破って自分に触れる人間を。
だから、自分は突き破らなければならないのだ、とティアは思う。彼に触れるために。
「・・・・・・大佐」
鮮やかなオレンジ色が射し込む夕方、仲間達がアイテムや食料の買出しへ行ったのを見計らって、ティアはジェイドの部屋を訪れた。名目は、明日の予定についての確認。簡単な言い訳だが、何も用意をしていかないよりはマシだ。少なくとも、変に勘ぐられる心配はない。もっとも、彼の鋭い洞察力と頭脳で見破られなければの話なのだが。
ドアの向こうに立っていた、思わぬ来客に彼は少し驚いたようだったが、いつもの微笑を絶やさずに「どうしましたか?」と言った。その後に「珍しいですね、あなたが訪ねて来るとは」と付け足すのを忘れなかった。これはもう、相手を探っている台詞だ。前もってそれを予測していたティアは、「そうでしょうか」と素っ気なくいい、先ほど用意した名目を口にした。
「それならわざわざ来ていただかなくとも、後で全員が揃ってから改めて説明するつもりだったんですけどねぇ」
「少し気になることがあったものですから、先にお聞きしておこうと思いまして」
冷静を心がけ、淡々と口にする。自分はいつもこんな感じで喋っているのだろうと考え、意識して声を作る。自分自身を演じているなど奇妙なことだが、そうでもしない限りすぐにボロが出てしまうだろう。
ジェイドは口元に手を当てて「ふむ」と少し思案するように黙り、ティアを見つめた。息が詰まる。緊張が顔に出ないよう、耐える。緋色の瞳をしっかりと見つめ、逸らさないように心がけた。
「わかりました。どうぞ」
時間にして二、三秒、だがティアには気の遠くなるような時間に感じられた。ジェイドが一歩部屋の中へ下がり、ティアを招き入れるためにドアを支える。第一関門は、どうやらクリアしたらしい。そっと安堵の息を吐くと、ティアは「ありがとうございます」と言って部屋に足を踏み入れた。奥の簡素なシングルベッドを眺めながら、これからどうしようかと考えを巡らせたところで、腕を引かれた。強い力だ。予想していなかったそれに体制を崩し、小さな悲鳴を上げてなすがままに、ドアの内側に押し付けられた。気がついた時には緋色の瞳が近くにあり、両手は顔の横にしっかりと固定されていた。しまった、と思う。だが、もう遅い。
「あなたはとても冷静で賢明な人間であるようですが・・・ツメが甘い、ですね。簡単な嘘で私を騙し果せるとでも?」
彼の吐息が鼻先を掠める。極めて至近距離。
緊急事態のはずなのだが、鼓動が鳴り響く。
全身が心臓になってしまったように。
「さて・・・聞きましょうか」
彼はあくまでいつも通り。完璧な微笑を浮かべ、声も穏やかだ。
しかしその瞳だけが隙のない冷ややかな光りを宿していた。
「何が目的、ですか?」
沈黙が落ちる。どうにかしてこの手を振り解けないかと思案したが、到底無理そうだ。
「答えられませんか?」
冷たい声。ぞくり、とする。
「・・・・・・あなた、に・・・・・・・あなたに、触れたいんです」
思ったより掠れた声が出た。まるで何年も声を出していないような、酷く頼りないものだった。
ジェイドは「ほう」と言って目を細める。
「でしたら今、現在進行形で触れていますが?」
「そういうことではありません。私が言っているのは物理的なものではなく・・・・・・精神的なもの、とでも言うのでしょうか」
ようやくペースを取り戻す。相変わらず近くにある彼の顔にはやはり微笑が張り付いていたが、内面はもはや穏やかではないはずだ。ティアは触れてしまったのだから、彼のバリアに。きっと彼の中では警報が鳴り響いていることだろう。目の前の人間は危険だ、と。
「・・・・・・何故、そ」
「好きです」
彼の言葉を途中で遮り、はっきりと、そしてしっかりと発音する。言葉を紡ごうとして開かれていた彼の口がゆっくりと閉じる。
「あなたが、好きです・・・・・・好きな人に触れたいと思うのは、おかしなことではありません。そうでしょう?」
すっと彼の表情から笑みが消えた。もう引き返せないところまで来ている、とティアは感じた。緊張を孕んだ空気がピリピリと肌を刺すように痛い。ピンと張り詰めた空間が息苦しかったが、彼女は再び口を開いた。
「・・・信じられませんか?」
「信じられませんね」
間髪入れず言葉が返ってくる。予想していたものとはいえ、いざ言われると、辛い。
彼女はきゅっと唇を噛んだ。その様子を見て、ジェイドは薄く微笑む。
「どちらにせよ、私に構うと良いことはない・・・・・・たとえば」
右手を固定していた手がすっと離れ、そっと首に触れてきた。びくり、と体が過剰に反応する。ひんやりとした指先が、筋をなぞるように動いたかと思うと、ぎゅっと力を入れてきた。爪の先が皮膚に食い込む。思わず、はっと息を飲み込んだ。
「・・・・・・こんな風に・・・・・・ね」
「・・・・・・・っは」
指先の力が抜けると同時に、酸素がすっと肺を満たす。急に送られてきた濃厚なそれに噎せ返った。固定されていた左の手が自由になり、その場に崩れ落ちた。咳き込みながら見上げると、彼はひややかに彼女を見下ろしていた。
痛い。
「わかりましたか?」
そう言った彼の顔はすでに微笑を浮かべたいつもの表情に戻っていた。その口調も、まるで教師が生徒に接するような、優しく、それでいて諭すような響きを含んでいた。
これは彼の脅しだ。これ以上踏み込むなという警告なのだ。ここを抜けなければ彼に触れることは出来ない。自分の気持ちが本当だと、わからせることが出来ない。退いてはいけない。退いてはいけないのだ。
「・・・・・・わかりません」
呼吸が落ち着いた頃、ティアが震える声で言った。ジェイドはつ、と器用に片方の眉を吊り上げて見せた。
「理解したくありません」
あなたに触れられるまで。
「理解、しません」
些か挑戦的に言う。すると、僅かに彼の瞳が揺れた。
end?
イマイチよく解らない運び(イタタ)。そのうち続き書きます。
2006.7.30.ありさか
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