触れたい、と思った。しかし、触れられない、とも思った。
それは自らのトラウマにおける「不可能」ではなく、触れてはいけないという「禁忌」に近い。好意を寄せている相手の親友、もしくは故郷が同じだという仲間意識。それらで保っている関係、もし一線を越えてしまったら呆気なく崩れるだろう。
きっとトラウマなんて、この感情の下では些末な問題にすぎなくて、だからたぶん、余計に恐い。触れることを恐れなくなった自分が禁忌を犯してしまうことが。
「ガイ、どうかしたの?」
気がつくと、青い瞳がこちらを見ていた。穏やかな海を連想させるのその瞳が、時に激しき波立ち、時に揺らぐことをガイは知っている。感情を心に秘めて表面上は冷静を装っているが、瞳だけは素直だ。そのことに、彼女は気がついているのだろうか。
「いや、何でもないよ」
「そう? 何だか元気がないように見えるけれど」
大丈夫?と顔を覗き込んでくる。ああ本当に、クールなふりをして実は無防備だ。きっと、彼が自分に対して特別な感情を抱いているなんて、これっぽっちも考えていないんだろう。だからといって彼女が鈍感というわけではない。必死に隠しているのは、彼の方なのだから。
「心配してくれるのかい?」
「当然でしょう。仲間なんだから」
彼女はさらりとその言葉を口にする。彼のことを何とも思っていない証拠だ。そりゃそうか、と心の中で笑ってみるものの、気分は重く沈んだままだ。
「無理はしないで」と言うとくるりと背を向けてしまった彼女。その後姿が遠ざかる前に、そっと手を伸ばした。
触れたい。彼女に触れたい。
伸ばした手は、しかし、指先が彼女の背に触れるか触れないかのところで、止まった。その間に、彼女歩いて行き、二人の間に距離が出来た。遠くなっていく。触れられないまま。
踏ん切りがつかなかったのか、トラウマが脳に制止を命じたのか、自分自身よくわからなかったが、ふっと湧いた喪失感が寂しかった。
「あーあ」
ガイは溜息をつく。その視線の先では、彼女の長い髪が風に揺れていた。
end
衝動的に書いたら上手くオチなかったというシロモノ。
2006.8.3. ありさか
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