注意 この話はED・ED後捏造です。
   帰ってきたのはレプリカの記憶を持った被験者ということになっています。
   この設定を許せない方、苦手な方は閲覧をお控え下さい。
   また、どちらかというとルクティア←アシュ寄りで、
   尚且つ少々乱暴なキスシーン(苦笑)がございますので、
   苦手な方はお気をつけ下さい。あまり描写もしていないので、大したことないのですが。

   大丈夫!という方は下ヘスクロールお願い致します。














































































「      」


目が覚める寸前、誰かが誰かの名前を呼んだ。
それが誰の声なのか、その時はわからなかったが、意識がはっきりした今ならわかる。
あれは、彼女の声だ。彼女が、名前を呼んだのだ。


誰の?


そこまでは、わからないが。


切なげな青い瞳が自分を映し出す度に心臓がおかしな鳴り方をした。しかし彼女が見ているのは自分ではなく、自分の中にいる別の人間なのだと、アッシュは知っていた。もちろん、彼女は一言もそのようなことを口にしない。あの時だって――彼が彼女達のところへ戻ってきた時だって、彼女は近づいていく彼を見てすぐに、自分が待ちわびていた人物ではないと気がついたはずだった。


しかし、彼女は言ったのだ。「おかえりなさい」と。微笑んで、その目に浮かんだ涙を指先で拭って消して。


セレニアの花に囲まれて歌う彼女はとても美しく、月明かりに照らされてぼんやりと浮かび上がるその姿に、彼は息を飲んだ。それと同時に心が悲鳴を上げるように痛んだ。彼女が紡ぎ出す声、言葉、メロディ、すべてに呼応するかのように、ひどく。
きっと、自分は彼女のことが好きなのだろうと思った。だが、自分の内側から別の誰かが――彼女が帰りを待ちわびている彼が、彼女を求めて叫んでいる、そんな思いこみにも似た空想がアッシュの脳裏から焼き付いて離れない。彼女を美しいと思うのも、愛しいと思うのも、触れたいと願うのも全部、自分の感情ではなく、自分の中に溶けた彼の気持ちではないのか、と。彼女はきっとそんな自分とその内側にいる彼の気持ちを、悟っているのだ。だからきっと、あんなにも切なげな瞳で見上げてくるのだろう。


自分を通して彼を見ている。純粋に、真っ直ぐに。そのことがとても悲しく、そしてとても愛しかった。




机に座り本を読んでいたアッシュはふと顔を上げて窓辺に腰掛けて外を眺めている彼女に目をやった。日の光に照らされている細く頼りない体。ほんの少しの衝撃であっけなく崩れてしまいそうだ。アッシュの角度からは髪で隠れていて見えないが、その横顔も信じられないくらい細いのだろう。そして、信じられないくらい美しい、のだろう。


「‥‥ティ、ア‥‥」


恐るおそる、その名を口にした。三年前には一度も発したことがなかったそれ。不慣れな様子で、躊躇いがちに、呼ぶ。しかし聞こえていないのか、彼女は何も反応を示さない。もう一度、名前を呼ぼうかとも考えたが、急に気恥ずかしくなってやめた。代わりに不機嫌な声で「おい」と言うと、彼女はようやく気がついてアッシュを見た。数度、目を瞬かせてから小さな微笑みを作る。その間に彼女の頭の中では、自分を呼んだ赤毛の男性が彼なのか否か、考えていたのだろう。いつもそうだ。彼女は願望と現実の間を彷徨っている。誰にも気づかれないように、独りで、ひっそりと。


「ごめんなさい。少しぼんやりしていたわ‥‥何?」


すっと青い目が細められる。彼女は今、何を思っているのだろう。アッシュは思わず彼女から目を逸らす。自分から呼んでおいて随分な行動だと自分でも思ったが、彼女はそれについては何も言わず、また「ごめんなさい」と言った。


「急に、部屋がみたいなんて言って押しかけて・・・・・・迷惑だったかしら」
「いや・・・・・・別に」


歯切れの悪い口調で言う。迷惑なはずなどないが、きっぱりそう言ってやれるほど素直ではない。


「もう三ヶ月も経つのね・・・・・・あなたが帰ってきて。もうだいぶ、まわりも落ち着いた頃でしょう?」
「・・・・・・ああ、まぁな」


三年前に死んだとされ棺に向かって成人の儀が行われたその日、本人がひょっこり帰ってきてキムラスカは驚きと歓喜に包まれた。事情を知っている一部の人間は、帰ってきたのはルークなのかアッシュなのか、その答えを聞いて少し複雑な表情をした。きっとどちらが戻ってきても反応は同じだっただろう。両方が、戻ってこない限り。


「・・・・・・彼の育った部屋が、見たかったの」


ぽつり、と呟かれた言葉。脈絡のない話だが、先ほどの続きだとわかる。


「あなたのお母様はいつでもいらっしゃいって言って下さったけれど・・・誰もいない部屋に入るのが、怖かった」


だから、ありがとうと。そして、ごめんなさいと、彼女は言う。


「・・・・・・謝るな」


そう言ったら、困ったような顔で「ごめんなさい」と、再び、言う。


どうしたって、何を言ったって、やはり彼女が見ているのは自分ではなく彼だ。その事実を彼女が謝罪の言葉を口にする度に自覚させられ、アッシュは心が痛むのを感じた。それと同時に、心臓が高鳴ってしまうのは、やはり・・・・・・。


これは誰の気持ちなのだろう。誰の想いなのだろう。自分は誰なのだろう。自分はどちらなのだろう。
自分自身、わからない。記憶が二つ。どちらが本物なのか。どちらが自分のものなのか。


もし、もしも、自分が、ルークだったとしたら。
もしそうだとしたら、この気持ちを自分のものではないと疑うことは、なくなるだろうか。
そして何より、彼女は自分を真っ直ぐに見てくれるのだろうか。


足場が不安定。揺れて、揺れて、わからなくなる。どうすればいいのか、どれが正解なのか。
正解なんてないのかもしれない。ただ自分の想像と、欲求と、願望と。


彼女を見る。細い体。長い間、彼を待ち続けた。疲れきって、悲しすぎて、寂しすぎて。
どうしたら彼女を救えるのか、なんて、そんなことはわかりきっていた。


「・・・・・・ティア」


不慣れな名前を、もう一度呼ぶ。「何?」と彼女が小首を傾げる。


――これですべてが終結するならば。


「・・・・・・俺は、レプリカの記憶を持った、被験者だ」


唐突な言葉に、彼女の瞳が戸惑うように揺れた。


「・・・・・・どうして、そ」
「あいつの記憶を持っている。あいつが何をしてきたのかも、何を思っていたのかも、全部、知っている」


彼女の言葉を遮って続けた。考える隙は与えない。正直な彼女の気持ちが欲しかった。それに、間をあければ今度は自分が、躊躇してしまいそうで。


「わかるか? 裏を返せば、俺はあいつになれるって、言ってるんだ」
「わ・・・・・・わからないわ。どうしてそんなことを?」


ほんの少し、彼女の顔が歪んだ。泣く寸前のような、困ったような、複雑な表情だった。
アッシュは立ち上がり、一歩、彼女に近づく。


もしその顔を、幸せそうな微笑みに変えられるのなら。


「・・・・・・今から俺は、目を瞑る」


何だってしよう、と。


「お前は、名前を呼べ・・・・・・あいつの名前を」


このままでは辛すぎるから。


「そうしたら次に目を開けたとき、俺は・・・・・・ルークだ」


彼女の目から涙が一筋、零れ落ちた。近づいて、そっとそれを拭ってやる。
「アッシュ」としての最後の行為。


「いいか。呼ぶのは、あいつの名前だからな」


青い目を見て言う。大粒の涙が溜まり、眉が切なげに寄せられていた。


少しだけ心が揺らいだ。
断ち切るように、目を閉じた。


遮断される。これでもう二度と、アッシュとしてこの部屋を見ることはない。


アッシュとしてこの世界に戻ってきたとき、嬉しいという感情よりもまず戸惑いが芽生えた。自分はあの時、確かに死んだのだ。死んで、すべてをレプリカに託したのだ。自分の生活も、人生も、何もかもを奪ったレプリカに。
そして今度は、そのレプリカに自分の気持ちをも奪われようとしている、そんな感覚がした。それは単なる自分の妄想に過ぎないのかもしれない。けれど、彼女への想いを疑ってしまうようならいっそ、彼になってしまえばいいと。
その方が、彼女が幸せになるのなら、いっそ。


それが、自分の彼女への、想いのかたち。


永遠のように長い、一瞬の時間が流れた。
緊張で喉が渇く。じわりと汗ばんだ手を、何度か握ったり開いたりを繰り返した。


すっと、彼女が息を吸う気配がした。


呼ばれる――








「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・アッ・・・・・・シュ・・・・・・」








思考が、真っ白に染まる。


「アッシュ」


頬に温かな温もりを感じた。
ゆっくりと目を開ける。
彼女が目の前にいて、優しく微笑んでいた。


「なん・・・・・・で・・・・・・」


彼女の指先がそっと頬を撫でる。
その感覚がいとおしくて、苦しくて、衝動的にその手首を掴むと、彼女が小さな悲鳴を上げたのも構わずに強い力でその細い体を壁に押し付けた。


「アッシュ・・・・・・!」
「何故呼ばなかった? 俺に同情でもしたのか? ふざけるな! お前は俺を通してあいつを見てる。そうだろう!」


ドン、と拳で彼女のすぐ横の壁を殴った。びくりと彼女は震え、ぎゅっと目を瞑り怯えている。彼の心を突き上げるのは荒々しく狂おしい感情。




苦しい。




「・・・・・・っ!」


ぐいと彼女の顎を持ち上げると、些か乱暴に口付けた。驚いた彼女が自由な方の手で彼の肩口を押し返したがびくともしない。
抵抗していた手はやがて、諦めたように力を抜いて、ぱたりと落ちた。


長い口付け。ようやくアッシュが解放すると、彼女は酸素を欲して荒い息を繰り返す。そして涙を溜めた目でアッシュを見た。その瞳が、あまりにも、綺麗で。


「・・・・・なぜ・・・・っ」


彼は、すすり泣くように、小さな嗚咽を懸命に飲み込み、肩を震わせて、聞いた。


「・・・・・・私は、あなたを通して彼を見てなんか、いないわ」


彼女は彼をそっと抱きしめた。彼は抵抗せず、彼女の肩口に顔を埋めた。優しい手が彼の頭を撫でる。その感触に余計、涙が溢れた。


「・・・・好きだ・・・・・・お前が、好きだ・・・・・だがこれは俺の感情じゃ、ない」


彼が言った。


「俺は・・・・・お前が、好きなのに・・・・・・俺の中のあいつがお前を欲している・・・・・俺じゃないんだ。もう、わからねぇんだ・・・・・・自分がルークなのかアッシュなのか、この気持ちは誰のものなのか・・・・・・わからねぇんだよ・・・・・・」


俺は、お前が好きなのに。


ぎゅっと、自分を抱く彼女の腕に力が入った。囁くように言葉が紡がれる。


「・・・・・・あなたは、あなた。彼は彼。たとえ記憶を持っていても、あなたの中に彼はいないわ」
「・・・・・・だが、俺は・・・・・・」
「あなたは、アッシュよ・・・・・・ううん。ルークオリジナルよ。あの人とは違うわ。ただ少し、彼の記憶が入り込んでしまっただけ。その感情も、全部、あなたのものよ」


何故、とアッシュが尋ねる前に彼女は「だって」と続けた。


「彼は、帰ってくるもの」


彼女の意外な言葉に一瞬、声を失う。アッシュは辛うじて眉間に皺を寄せて、「・・・・・・馬鹿が」と呟いた。


「馬鹿で結構・・・・・・よ」


彼女の語尾が掠れる。アッシュは思わず彼女の細い体に手をまわし、強く抱きしめた。加減など考えてはいないため、彼女にしてみればそれはただ痛いだけの行動だったかもしれない。しかし、一言も発せず、身動き一つしない彼女の気持ちが、少しだけ彼を楽にさせた。


「・・・・・・帰って、来るもの」


ルーク、と彼の腕の中で彼女が呼ぶ。刹那、身を引き裂くような切なさと苦しさが彼を襲う。それはきっと、彼女も同じ。自分を抱くアッシュの力に比例するかのように、彼女は声を上げて彼を呼んだ。


「ルーク・・・・・・ルーク・・・・・・ルークっ」


ありったけの想いと可能な限りの大きさで、彼女は彼の名を呼び続けた。アッシュの腕の中で、泣きながら、声が嗄れるまで、彼の名を、呼び続けた。
そんな彼女を抱きながら、アッシュは先ほどの彼女の言葉を反芻していた。


――その感情も、全部、あなたのものよ。


ああ、と思う。彼女に、救われたのだと。自分は自分でいてもいいのだと。
これは都合の良い解釈かもしれない。自分は自分で、彼がいつか帰ってくるなど、夢物語でしかないのかもしれない。
しかし彼女は認めて、許した。自分を、同じ姿をして、同じ記憶を持った人間が彼ではない人間でいることを。
この感情が彼のものではなく、自分のものなのだと。


一頻り彼女が泣いて落ち着いた頃、アッシュは不器用な手で彼女の頭を撫でた。彼女がしてくれたように。


「・・・・・・好きだ」


耳元で、囁く。彼女が微かに嗚咽を漏らすのが聞こえた。


「これが俺自身の感情だと言ったのはお前だ・・・・・・自分自身でさえ疑っていたこの想いを肯定させたのは、お前だ」
「アッシュ・・・・・・でも、私」
「あいつが好きだって言うんだろう? あいつを待ってるって言うんだろう?・・・・・・それでもいい。今、お前のそばにいるのは俺だ。あいつが帰って来た時に、お前が選べばいい。呼べばいい。俺か、あいつか」


だからそれまで、一緒に待っていよう。彼の名を呼び続けよう。声が嗄れても、泣き疲れても、手を繋いで、共に。


「・・・・・・馬鹿ね、あなた」


震えた声だったが、若干の笑いを込めて彼女が呟く。「馬鹿で結構だ」と彼は返した。すると彼女は今日、初めてくすりと小さく笑いを漏らし、長い長い溜息をついた。


「・・・・・・ありがとう、アッシュ」




二人は彼を待っている。片方は彼への想いを抱きながら、片方はアイデンティティの確立のために。
理由は異なっていても、彼らは彼を待っている。同じ想いで、同じところで、空を見上げて、

呼び続けている。

















end











長すぎました。
ティアがルークを呼んで泣くエピソードを、
アッシュが自分のティアに対する感情が自分のものなのか否か悩むエピソードを
別々の話にすればよかったと、書き終わってから後悔しました。
ちょっと支離滅裂な気がしますが、これが私の中のアシュティアです。
お付き合いありがとうございました。




2006.8.22. ありさか